世田谷区のはずれ、ここはどこ?
と思わず突っ込みたくなるほど、田舎の風情を残した町がある。
ひろびろとした畑の向こうにはわらぶき屋根、
その先には多摩川が静々と流れ、かつては路面電車が走っていたという町の一角に、
“梅の香り”が一年中ただよう家がある。
小春日和の日曜日、「梅ジャム本舗 佐々木」にはそれぞれの日常を背負ったまま、
家族たちが集まってくる。
今日は非常召集された食事会なのだ。
悲喜こもごもの人間模様が乱れ飛ぶ、おかしせつない夜の幕が開く! 
友へのメール [ 林 邦應

残暑厳しい初秋のある日、劇場に向かいながら、ふと皆の顔が浮かんだんです。
迷うことなく、小野さんにメールをしました。
「みんなに伝えてください。一緒にお酒でも飲みませんかって」
メールアドレスを知らないくらい連絡を取り合っていなかったわけですね。
突然の誘いにも関わらず、数日後全員が下北沢の居酒屋に駆けつけてくれました。
10年ぶりの懐かしい顔も混じったその席で、乾杯もソコソコ僕は堰を切ったように話始めました。
“11年前のあの夜のことを憶えてますか?”と…。
ー1999年12月、『虹の降る場所』という芝居を終えた打ち上げの席で、 僕らはある人を前に、緊張に身体をこわばらせながら座っていました。
僕等の前で水で割った赤ワインを時折口に運びながら、優しく微笑んでいたのは東京キッドの主宰者・東由多加さん。
東さんは、帰る間際こんな言葉を残してくれました。

『 IOHには、キッドブラザースの精神が宿っているように思え、観ていて嬉しかった。 このままオリジナルの世界を大切に、芝居を作り続けてほしい。 それが、キッドブラザースを守り残すことにつながるのだから… 』


タクシーで入院先の病院に向かう東さんを見送ってから、僕らは泣きました。
本当に嬉しくて、そして悲しかったから…。
その夜が、元気な東さんの姿をみた最後となってしまいました。
あの夜を共にした皆ともう一度、今だから、今しか出来ないIOHの舞台を創ってみたい。
そんな僕の勝手な想いに賛同してくれたメンバーたちが、集まってくれました。
東京キッドが青春だった方、昔のIOHを観ていたけど最近は…、という方も、是非もう一度劇場にいらしてください。
IOHは東京キッドの精神を魂に刻み込んでいる人間が集まった、
唯一の集団ですから!! 
IOHとは

東京キッドブラザースの黄金期を、柴田恭兵らと過ごし、 ニューヨーク公演、全米ツアー、 日本全国ツアーなど経験後、退団した役者達が、 自分たちのめざすストレートプレイをつくりたいと1992年設立。 [公演数:341回、 総動員数:約48000人] 作・演出の林邦應は、決して派手ではないが心に沁みる作品を創り続け、 95『夜と夜の旅人』以降シリーズ化されている家族の物語は、 家族愛、人間の優しさをおかし切なく描き、大きな評価を受けた。 また角松敏生や木根尚登(TMN)など、 メジャーミュージシャン達とのコラボレーションを企画・脚本・演出、 彼ら自身を音楽&主演とし、まったく新たな演劇を世に送り出してきた。 2006年6月シアタートップスにて2週間公演後、活動を休止。 2008年プロデュースは再開。
東京キッドブラザースとは

1969年、東由多加が中心になり、創立。 1970年、日本人で初めて、オフブロードウェイでロングラン公演をする。 1977年、”シアター365”という小劇場を新宿のはずれにオープンし、 一年間に5作品を連続上演する。 柴田恭兵、三浦浩一らが「愛と連帯」という熱いメッセージを叫び、 武道館公演、全国ツアーと劇団の規模を拡大していった。東 京キッドブラザースの舞台には、日本中から熱狂的ファンが押寄せ、 社会現象となり、数多くのの伝説が残っている。 2000年4月 東由多加 永眠。 東京キッドブラザース活動停止。
劇団IOH
2010
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